文章はミステリーである
先週のレターに読書が嫌いだという方からコメントをもらった。
少し長いが丸々引用する。
「本をたくさん読んでいる人の9割が得た教養を言い訳や理論武装に利用していました。
残りの1割が行動が伴っていました。
そう、本を読む人はこの先の展開が読めるので、安全に体よく立ち回るのが上手くなりがちです。
僕は今でも読書が嫌いです。
集中力が続きません。
文字だけですべての形あるものを想像を具現化できません。
音声で話してくれるアプリができて助かっています。
読書は感情を落ち着かせてくれます。
読書は言葉遣いを綺麗にしてくれます。
だから余計に、行動が伴わないと期待を裏切られたような気になり怒りが倍増します。
芦田愛菜さんは読書好きだと。
教養を積みながら、『そっちには行くな。』という道標を読書が教えてくれた云々と(主観入ってます)。
でも、何を言ったかではなくて、誰が言ったかという心への説得力は読書だけでは足りませんし、行動力がないとかえって裏切った印象を与えてしまいます。
失敗の体験こそ、すべての人に刺さる学びなのです」
読書が好きな側の人間としては、人生経験に加えて読書をすることで得られるものが確かにある、ということをお伝えしたいところだ。しかし、まずは集中力が続かないという読書への苦手意識を取り除かないことには、彼が読書好きに転じることはないだろう。
読書に集中する、熱中する体験を得るには、いい文章を読むに限る。
文章の巧拙など読み手によってその判定は変わるはずだ、と反論する向きもあるかもしれない。
豊かな語彙がある。情景の描写が緻密だ。独特の表現力を持っている。
人によって評価する物差しが違うのは否定しない。しかし、いい文章かどうかは、そういったスキル以前の問題だと私は思っている。
文章の要諦は、説明し過ぎないことである。