翻訳本はやめようと思っていた私がそれでもこの本を出す理由 ~『SHOT READY 最高の自分を引き出す準備の哲学』刊行に寄せて~
株式会社ダブドリが翻訳本を刊行したのは2021年の『I’LL SHOW YOU デリック・ローズ自伝』(以下ローズ本)が最初だ。
これはいわくつきの本で、元々は弊社から刊行する予定ではなかった。版権を保有していた東邦出版が翻訳の途中で倒産し、担当の酒井陽さんと私が旧知の仲だった縁で弊社が制作を引き継ぐことになったのだ。
ローズ本の制作にはかなり苦労したのを覚えている。根本的な問題として、原書が非常に翻訳しにくい文章だった。全編ほぼ口語で、しかも黒人英語をそのまま生かしている。あとから聞いたら黒人文学には口語で書くという伝統があるそうだ。ライターのサム・スミスは白人だが、おそらくその伝統に則ったのだろう。
メインで翻訳を担当したのはNBAダイナーやMarkTonightNTRで毎週一緒に喋っている大西玲央だった。玲央がなんとか日本語で意味の通る文章にしてくれたのを、後に『RISE 偉大さの追求、若き日のコービー・ブライアント』(以下、コービー本)とこれから出る『SHOT READY 最高の自分を引き出す準備の哲学』(以下、『SHOT READY』)の翻訳をお願いすることになる永禮美里さんにもう少し日本語らしく調整してもらい、最後は私がすらすら読める文章を目指して書き直すという三人がかりの作業となった。
ただでさえ翻訳に時間がかかるのに、内容的にも本の前半と後半で食い違うことが多々あり、そういう箇所が出現するたびに三人で議論する羽目になった。
難産という記憶が強い本だが、売れたのが救いだった。
弊社から出したバスケ関連の本としては歴代で最も売れた本となり、残念なことでもあるがその記録はいまだに破られていない。
その後弊社からは『ヤニス 無一文からNBAの頂点へ』(以下ヤニス本)、コービー本という2冊の翻訳本を出している。
この2冊を制作して気づいたのは、ローズ本の頃は翻訳本の大変さの半分しかわかっていなかったということだった。
翻訳本で翻訳という作業以上に苦労するのが権利関係の話だ。版権交渉を終えた段階で引き継いだローズ本の時にはそれを知り得るはずもなかった。
版権を買う時にはアメリカの出版社と日本の出版社の間に版権エージェンシーと呼ばれる会社が入り、売り買いの間を取り持つ。
この版権エージェンシーが曲者だ。版権エージェンシーというぐらいだからうちの代わりに先方と交渉してくれるのかと思いきや、基本的には版権を売りつけるというのが仕事であってそれ以外のことへの関心が極めて薄い。
弊社は普段から翻訳本を手掛けているわけではないのだから前作と違う点があればあらかじめ教えて欲しいと毎度頼むのだが、契約したあとからとんでもない相違点が発覚してその対処に追われたり予算に入れていなかった費用が発生したりという件が続いた。
その上ご存知の通りの過剰な円安だ。
資金繰り的にもかなり厳しい。ヤニス本とコービー本を刊行する間に、ローズ本の時の「大変だが頑張れば報われるのが翻訳本」という印象は完全に消え失せてしまった。
もう翻訳本は終わりにしよう。そう思っていたところに『SHOT READY』の話が来た。
実はローズ本が売れ、ヤニス本とコービー本が売れなかった理由に私はある仮説を持っていた。それは、自著の方がファンに求められているということだ。
3冊全ての編集をした私が内容の面白さで並べれば、ヤニス本、コービー本、ローズ本の順になる。ところが、売れた順は真逆なのだ。ヤニスよりコービーの方がネームバリューがある。コービーとローズはどちらも人気だが、コービー本は評伝でローズ本は自伝だった。
仮説に従うのであればステフィン・カリーのような人気選手の自著なら売れる可能性があるし、売れなかったら翻訳本出版に諦めもつくというものだ。
ただし、この本はかなり特殊で、まだ制作もされていない本の版権を2冊セットで販売するという話だった。悩みに悩んだ末に入札してみたところ、縁があって落札することになった。
『SHOT READY』が写真集に近い仕様だというのは制作前から聞いていた。しかし、まさか輸入版が10,000円近くするような豪華本になるとは思ってもみなかった。
難しいのは原書を輸入したら10,000円だから、翻訳作業を加えた日本版は12,000円で売れる、とはならないことだ。
翻訳本の値付けには商慣習があって、税込み6,600円はその商慣習と昨今の物価高を考慮してつけた額である。
原書より大幅に安いとは言え6,600円は大金だ。仕様を簡素化して原価を下げるという案もあったのだが、金額に見合う本をお届けしたいと思い、原書以上のクオリティを目指して制作した。
シルバーとブラックの印刷に金の箔押しという豪勢な表紙に当たり傷がつかないよう、日本版はシュリンク包装をする。デザイナーのトミさんのアイデアで、CDのようにシュリンクの上からステッカーを貼り、帯の代わりにする予定だ。
豪華な装丁に負けないぐらい中身も充実している。
自伝的作品には大きく分けて二つの系統がある。一つはいわゆる回想録で、キャリアを自身の言葉で振り返るというものだ。以前はこちらが主流だった。もう一つは自己啓発本で、長谷部誠の『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』が売れて以来、日本で発売されるスポーツ選手の本のうち9割9分はこちらの系統に属するようになった。
率直に言って私は自己啓発本が嫌いだ。
読書の良いところは受け手が想像する余白が大きいことで、他メディアにはない優れた点だと私は思っている。自己啓発本はその良さを捨てている。小見出しに抽出された格言めいたものを読んで感心しながら首を振るのは読書体験ではない。
『楽しまないと もったいない』も、アメリカの大学でエースになり、チームをNCAAトーナメントに連れて行くまでの富永啓生の冒険を、読者が想像を膨らませながら追体験できるようにという思いで書いた。読み進めるうちに何か学びを得ることもあるかもしれない。ただし、それはあくまで読み手が感じればいいことで、こういう教訓を受け取ってくださいとは書かなかった。
とは言え、自己啓発本は売れる。お手軽に何かを得られた気になるという特徴がTikTok時代、タイパ時代の読者に合っているのだろう。
それは洋の東西を問わないようで、実は『SHOT READY』も自己啓発本の要素を強く持っている。ただし、アンチ自己啓発本の私が読んでも不思議なほど抵抗感が無い。
おそらくそれには二つ理由がある。
まずは回想録的な記述とそれを補足する数々の写真がベースになっていること。カリーの少年時代からの成功と失敗の繰り返しが細かに記されているからこそ、格言めいた小見出しが出てきても素直に心に入ってくる。
そしてもう一つ大事なのは、ステフィン・カリーという人が自己啓発本を出すに値する人物だということである。前述の通り、今は猫も杓子も自己啓発本を出す時代だ。ということは、多くの場合自己啓発本を出すに値しない人間の格言を読まされることになる。カリーぐらいの傑物が書いた自己啓発本であれば読む価値がある、というのは『SHOT READY』を読んで得た気づきだった。
そんなわけで、自己啓発本嫌いな私も『SHOT READY』については遠慮なく自己啓発本的なアプローチで広告宣伝することにした。副題の「最高の自分を引き出す準備の哲学」にも、「成功は偶然ではない」というステッカーのキャッチコピーにもそれが表れている。
熱烈なカリーファン、NBAファンに加え、自己啓発本好きの層にも届けばと目論んでいるが、果たして。
発売はファイナル初日の6月4日である。闇鍋読者諸兄につきましては、日ごろのよしみでご購入を検討いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
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